社会について考えるには、自分のナイフを持つことです

僕は、最近、女性のフェミニズムについて、勉強しているんですが、これによって、社会について考えることが出来るようになってきました。

一見関係のないように見えますが、そうでもないんです。
女性のあり方を考えるということは、男のあり方も考えます。
すると、家族のあり方を考えます。

社会が何によって形成されているかというと、人間ですから、人間のあり方を考えると、自然と社会のことがわかってきます。
社会について考える時は、始まりはなんでもいいと思うんですよね。

ゲームが好きな人は、ゲームがどのように動いてきたのか考え、なぜゲームが売れなくなったのか?
そうであるなら、時間の使い方がどのように変化してきているのか?
などなど、どんどん膨らんでいきます。

要するに、自分のナイフを持っていれば、いろんな切り口から社会を開いていけるわけです。

社会について考えることは、誰しも必要なことです。
でも、社会になんていうものは、漫然としたもので、紐解いて行くには難しすぎます。

でも、実は簡単なことで、一つの切り口を見つければいいんですね。自分の得意分野でいいんです。

以上、最近気になっていることでした。

 

長年の活動量の差

朝日新聞が、いわゆる従軍慰安婦に関して吉田清治氏についての特集記事を32年越しに取り消したのは確かに非常に大きな節目ではありますが、そもそも朝日がそれを取り消さざるを得ない程に日本の中では「示威軍慰安婦の強制連行はウソ」と言う認識が広まった結果の一つに過ぎないとも言えます。

しかし、これが国際的な舞台となるとどうでしょうか?
旧日本軍に若い女性たちを強制連行されて従軍慰安婦にされた、と主張する韓国は長年この事を世界中に広め日本を貶める活動を展開しており、遅まきながらも国際社会の場で反論を始めたものの流石に「今更」感のある日本にとっては世界の論調は厳しいものがあります。

真実は黙っていても明らかになる、相手はきっとわかってくれると言う共通認識は日本の中では社会の潤滑油として重要なのですが、日本以外の場所ではそんなもの通用しません。
より大きな声を、より長い間出し続けているほうが「正しい」と認識されるんです。

まあ、今回は今まで沈黙していた奴が喋りだした事に意味があるのですが。